おたくにっき

tumblrが使いにくいので

パスカラ感想 響と和哉 夫婦の狼

パスカラ完走した

心身ともに体調不良でなかなかアニメ自体が観れなかったんですが、パスカラ完走できたのでちょっとだけ感想を。

 

さて先に、私の親はシートン動物記が好きで、私はオオカミ王ロボを4回くらいは読まされた。内容が曖昧になる程度にはその頃興味がなかったのだけれど。
簡単に書くとオオカミ被害がひどい牧場から動物学者のシートンは依頼されてオオカミ退治を試みる。しかしオオカミの群れのリーダーであるロボは卓越した知能と体力があり狩ることがなかなかできない。そこで妻と思われるメスのオオカミ(ブランカ)を先に殺したところ、ロボは冷静さを失い捕らえられる。
与えられた食事にも水にも一切口をつけずロボは死んだ。シートンはロボの亡骸をブランカの亡骸のそばに置いてやったという話。

一匹狼という言葉があるが、オオカミは群れで生活し、愛情深い生き物である、と幼い頃このオオカミ王ロボから知った。

正直、イメージしたパーセプションアートとアニメの表現がずいぶん違ったので、メガネをして見れるプロジェクトマッピング感が途中、彼らをこんなにも熱中させる理由を深く考えさせられたが、最終話のあの情景を見せたかったんだなぁと納得してしまう。


響はオオカミの子でありながら1人だった。自分の罪を隠し責め続け新たにリーダーとして群れを作ることも恐ろしかった。さらに灰島伊織から図星をつかれどんどんと孤立していく。
でも一番の贖罪の相手である和哉は純や道臣と一緒に幸せそうに生活をしながら、響に近づき、昔みたいに一緒に、と手を差し伸べてくる。

響はグレーダーとしてプロ意識もあるし、幼い頃の和哉や彼の両親を知っているからこそダメ出しをしながら2人で作品を作る。でも響はいつまでも秘密を隠したまま群れに戻ることができず、でもかつていた群れの温かさを知って、1人でいることも怖くなり、
群れの思い出が、支持空間が、リセットされる時、思い出の場所に逃げた。

和哉は常に優しい。だから視聴者として和哉が響を許すことはわかっていたけれど、ああ綺麗な終わり方だ、と感動した。

でも1つだけ言いたい。響のお父さんよ。確かにさ、妻に先立たれ親友2人を亡くしたショックを大人でも全部消化し切るのは難しいのはわかる。けど、けど、けど、自分の1人息子を少しはフォローしてやれよ!


中国の言葉で比翼の翼という言葉がある。
夫婦も親友も、グレーダーとアーティストも比翼の翼で、夫婦のオオカミだ。


真実を告げることは響自身だけでなくて和哉を立ち直れなくさせてしまい、
和哉の今明るさを消してしまうことを響は恐れていたと思う。
そんな和哉を見たら、響はブランカの死を知ったロボのように冷静さを失い、己を本当に見失ってしまう。けれどここはスタミュ製作陣の描いたアニメ。
響は伴侶を失ったオオカミではなく、群れからはぐれ、伴侶を見失ったオオカミだった。
ブランカもロボも死ぬことはなく、またパートナーとして歩み出し、仲間の元へ戻る。

この2人の話だけでももう胸がいっぱいです。

 

 

まとまらん!!